なぜ人は苦しみ、なぜ人によって生きやすさが違うのか
人はなぜ、怒りや不満に支配される日があれば、穏やかで前向きに生きられる日もあるのでしょうか。
同じ環境にいても、苦しそうな人と軽やかに生きる人がいる理由を、仏教では「十界」という心の状態で説明します。
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天界・声聞・縁覚・菩薩・仏界という十の境涯は、死後の世界ではなく、今この瞬間の生き方そのものです。
この記事では、地獄界・餓鬼界・修羅界の三悪道それぞれの特徴と、性格・人間性・状態の違いを解説します。
この記事を読めば、波動の低い人間はすべてこの三悪道のどれかに当てはまるということがわかるようになります。
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十界の最下層、地獄界はすべてが苦しみに見える世界
十界の最下層、地獄界は、絶望・怒り・苦悩に支配された境涯です。
病気・貧乏・家庭不和に苦しむ人はこの境涯に当てはまり、精神的、肉体的に束縛された監獄にいるような状態ともいえます。
この境涯にいると、世界は敵だらけに見え、「なんで世の中ってこんなに理不尽なんだ」という思考が頭から離れません。
あらゆるものに対して敵意を向けており、気に入らないことがあるとすぐに怒りを露わにします。
地獄界の特徴は、苦しみが外側にあるのではなく、心そのものが苦しみを生み続けている点にあります。
どんな出来事も否定的に解釈され、希望を見出すことが難しくなります。
いじめられる人、病気がちの人、家庭環境に強いストレスを抱えている人は、
一時的にこの境涯に沈みやすい傾向があります。
しかし重要なのは、地獄界は「人格」ではなく「状態」だということです。
誰でも失敗や裏切り、喪失を経験すれば地獄界に落ちます。
問題は、そこから抜け出せないと感じてしまうことです。
悪口や自己否定が増え、波動は重くなり、人間関係も閉ざされていきます。
仏教では「怒りは地獄」と説かれ、精神的、肉体的に束縛された鬱憤が激しい怒りとして現れ、自分や他者を害することが示されています。
こんな人は地獄界が強いかも
- 「どうせ」「無理」「最悪」が口癖
- 怒りや絶望感が常に心にある
- 自分や他人を強く責めてしまう
十界の2番目、餓鬼界は「足りない」に支配される世界
十界の2番目、餓鬼界は、強烈な欠乏感に支配された境涯です。
一を得れば十を望み、十を得れば百を欲しがる限りのない底なしの欲望。
「もっと欲しい」「まだ足りない」「自分だけ損をしている」
この思考が止まらず、心が常に飢えています。
食欲・物欲・承認欲求が強く、
手に入れても満足は長続きしません。
SNSで他人と比べて落ち込みやすいのも餓鬼界の特徴です。
餓鬼界の苦しみは、外側を満たしても内側が満たされないことにあります。
どれだけ収入が増えても、どれだけ評価されても、
「まだ足りない」という感覚が消えません。
この境涯が強くなると、執着が生まれ、
人や物、お金に依存しやすくなります。
不安が増幅し、結果として人生が重たく感じられるようになります。
仏教では「貪るは餓鬼」と説かれ、限りのない欲望がその身を亡ぼすことが示されています。
こんな人は餓鬼界が強いかも
- 欲しいものや不足ばかりに意識が向く
- 他人と比較して落ち込みやすい
- 執着や依存が手放せない
十界の3番目、畜生界は恐怖と本能で動く世界
十界の3番目、畜生界は、本能と恐怖に支配された境涯です。
理性よりも損得・快不快で判断し、長期的視点を持つことが難しくなります。
強い者には従い、弱い者には攻撃的になる傾向があり、
自分の立場を守ることに必死になります。
「考えるより反応する」状態とも言えるでしょう。
畜生界は一見ラクに見えますが、
実際は常に不安と恐怖にさらされています。
主体性を持てず、環境に振り回されやすいのが特徴です。
自然界では野生の肉食動物がここに当てはまり、弱肉強食の世界そのままの状態です。
仏教では「愚かは畜生」といわれ、無知が故に善悪の判断ができない人のことを指します。
こんな人は畜生界が強いかも
- 目先の損得で行動してしまう
- 強い人には逆らえない
- 自分で考えるのが苦手
この三悪道に共通することは、理性が効かない境涯ということ。
世の中のトラブルや殺人、強盗などの犯罪のほとんどはこの三悪道の状態に縛られた人が起こしているといっても過言ではありません。
またこの三悪道は欲と怒りと愚痴の三毒であり、人が生きていく上での苦悩の根本原因とされます。
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